「よろしい、清くなれ」  02.11.17
                  ルカ5:12〜16
 主イエスは、私たちに「よろしい、清くなれ」とおっしゃって
くださり、私たちを清くしてくださる方です。ルカ5章の御言葉にも、
主に清めていただいて、新しく生き始めた人のことが記されて
います。

 全身らい病にかかっていたこの人は、町の外に住まされ、人々の
前に出るときには、一目でらい病とわかる格好をして、「私は汚れた
ものです」と叫ばなければなりませんでした(レビ記13章)。
それは、辛いことです。ですから、主イエスのところに行くのは、
彼にとっては簡単なことではありませんでした。できれば、人々の
前に行かず、そっと町の外で一日を過ごしたいと思ったかも知れ
ません。
 しかし、どうしても主の前に行って、お会いしたかったのです。
例えどんな視線が周りから注がれようとも、主と出会いたいと
願いました。
 そんな必死の思いをもって近づいてきた人を、主は避けること
なく、その人の前に立って、その人をしっかり受け止めてください
ました。多くの人に避けられるようにして生きてきたこの人にとって、
自分を受け止めてくださる方の存在は、それだけでどんなにうれし
かったことでしょうか。
 しかし、それだけではありません。主はその人に触れ、「清くなれ」
とおっしゃってくださるのです。主は、受け止めるだけでなく、病を
取り去り、清くないところを取り除いてしまわれます。そのために
こそ、主は私たちとも出会ってくださいました。

 清くないものを清く変える。そこには、激しさがあるはずです。
汚れを取り除き清めることは、ぼんやりした、生易しい所では
出来ません。
 主は、やさしさだけでなく、激しさを持って私たちに触れて
くださいました。だからこそ、私たちを清めてしまうことが
お出来になります。

 私たちの側には見えないところで、汚れを追い出し、清めようと
される主の激しさがあるのです。
 主は十字架の死という激しさをもって、私たちを確かに清めて
くださったのです。